「オープンソースの定義」(Open Source Definition: OSD)は、米国の公益法人であるOpen Source Initiative (OSI)が策定した、オープンソースとされるものが満たすべき条件を示した文書です。オープンソースとは何であるか?という疑問に対し、その語を正しく捉え、どのようなライセンスがオープンソースとして適合するのかの指針として利用されることを企図し、一般社団法人オープンソース・グループ・ジャパンではその日本語訳を公開しています。正しいご理解のためにご活用ください。

オープンソースの歴史
オープンソースという言葉の誕生の背景
オープンソース(Open Source)という言葉は、1998年2月3日、シリコンバレーにあったVA Research社(当時)で開かれた戦略ミーティングで生まれました。出席者は、前年に「伽藍とバザール」を発表していたEric Raymond、VA Research社のCEOだったLarry Augustin、業界団体Linux Internationalの代表のJohn “maddog” Hallなどのコミュニティと業界の代表的な人物が集まっていました。
この戦略ミーティングの議題は、当時ビジネス界からの注目が集まる一方だったLinuxとフリーソフトウェア(Free Software)に対し、業界全体としてどのように勢いを利用していくべきかというものでした。しかしながら、世間の注目に反して、特に当時の大企業の幹部層からは「無料」のソフトウェアのイメージと当時のFree Software Foundationが発する教条的なイメージは受け入れ難いものでした。この状況を一気に打破するアイディアとして、フリーソフトウェアという言葉を「オープンソース」という言葉で代替するというアイディアが出ました。これがオープンソースの誕生です。
旧来のフリーソフトウェアを中核とした世界をLinuxを中心としたムーブメントであるオープンソースに置き換えることで、無料のソフトウェアではなく、最新の開発手法、形態であることを印象付けることになりました。
オープンソースの定義の誕生経緯
VA Research社での会合後、Eric Raymondは即座にフリーソフトウェア業界の著名な開発者とTim O’Reillyを含むビジネスパーソンに連絡を取り、オープンソースという新語への支持を取り付けました。その中には、Debian Projectのリーダーを務めていたBruce Perensもいました。
Debian Projectでは、Bruce Perensが中心となって1997年にDebian社会契約(Debian Social Contract)とDebianフリーソフトウェアガイドライン(Debian Free Software Guidelines, DFSG)という文書を公表していました。Debianは元来からフリー(自由)な構成要素だけを利用することを志向しており、この思想において何がフリーであるのかという点を明確にするためにその条件を書き並べたものがDebianフリーソフトウェアガイドラインです。
Bruce Perensはオープンソースのアイディアに賛同し、DFSGからDebian特有のタームを外して、オープンソースの定義(Open Source Definition、OSD)という文書を再作成しました。これが「オープンソースの定義」の誕生であり、現在の定義も骨格は当時とほとんど変更はありません。
このオープンソースの定義と共にオープンソースのマーク(商標)の作成と、それらを管理する場としてopensource.orgドメインが取得され、Bruce PrensとEric Raymondが中心としって初期のOpen Source Initiative が結成されました。
オープンソースの受容
特定のコミュニティの関係者によって新語として誕生したオープンソースですが、誕生直後は全ての人達がその代替語を利用することを肯定的に捉えたわけではありませんでした。そこで、O’Reilly社を経営するTim O’Reillyの仲介により、代表的なフリーソフトウェアの作者らを一堂に集めた「Freeware Summit」と題した会議が1998年4月3日に開催されました。サミットの出席者は、司会役のTim O’Reillyの他、Eric Raymond、Linus Torvalds (Linux)、Brian Behlendorf (Apache)、Larry Wall (Perl)、Guido Van Rossum (Python)、John Ousterhaut (Tcl/Tk)、Eric Allman (Sendmail)、Paul Vixie (BIND)、電子フロンティア財団(EFF)とGNU製品のサポートを行っていたCygnus Solutions社の創設者でもあるJohn Gilmore、Cygnus Solutions社の創設者であるMichael Tiemannらが招聘されていました。
このサミットにおいて、改めてフリーソフトウェアという言葉が抱える問題について討議され、フリーソフトウェアとは異なる語を使用していくことを決定されることになりました。そして、最終的には投票によってオープンソース(Open Source)が過半数の支持を得ることになり、結束してオープンソースという語を使っていくことになりました。この決定は即座にサミット後に行われた記者会見で公表され、その後の様々な報道でオープンソースという言葉が使用されるようになり、一般にも次第に浸透していったのです。