欧州ソフトウェア特許を巡る狂騒

欧州議会に於て、ソフトウェアを特許の対象にしようとする試みが大差で退けられた。フリー(自由な)ソフトウェアにとっても、オープンソース・ソフトウェアにとっても喜ばしいことである。しかし、なにぶんヨーロッパから遠く離れた国に住む私たちにとっては、ようするに何がどうなって今回の否決につながったのか、あるいはそもそも何を否決してそれがどういう意味を持つのかが今一つ分りにくい。そこで、今回の一連の経緯とその歴史的背景を、今回の一連の動きで大きな役割を演じたFFIIの情報を元に簡単にまとめてみた。

発端

話は1973年に遡る。この年の10月5日ミュンヘンで、「欧州特許」の付与に関する条約 (European Patent Convention, EPC)が締結され、欧州特許 (European Patent, EP)を扱う欧州特許庁 (European Patent Office, EPO)が設置された。EPOに出願するだけでうまくいけばEPが取れ、EP が取れるとEPC 締結国の全て (あるいは出願時に指定した一部の国)で有効な特許になります、というヨーロッパにおける特許制度一元化の試みである。この仕組みは、最終的には1978年から出願を受けつけて実際に機能し始めたのだが、そのEPCの第52項 (2)では、明示的にソフトウェア (programs for computers)が特許対象から除外されていた(不特許事由と言う)。これがすべての発端だ。

ちなみに、EPCでソフトウェア特許(正確には、いわゆる「アルゴリズム特許」や「ビジネスモデル特許」も同様に)が排除されたのは、おそらく何か特定の意図あってのことではないと思われる。単に、「特許は有形の物質的な発明にのみ認めるべきであって、無形で非物質的な発明には認めるべきではない(そういったものの権利保護は著作権の領域)」という伝統的で自然な考え方に則っただけなのだろう。1973年と言えば、ケン・トンプソンとデニス・リッチーが、Unixに関する論文を初めて発表した年でもある。ソフトウェアの商業的な重要性は、まだ広く認識されるに至っていなかった。いずれにせよ、このままではEPOは素直にソフトウェア特許を認めることができない。

転機

ところが1986年になり、ようやくソフトウェアに高い商業的価値を見出し始めた産業界からの圧力に屈したEPOは、EPCを事実上空文化する形で当の「programs for computers」にも特許を乱発しはじめた。そう言い切ってしまうと、若干不正確な表現になるかもしれない。EPOはそれなりに巧妙な迂回策を用意していたのだ。それが「プロセス・クレーム」である。

プロセス、すなわちある一連の「過程」に新規性があれば、特許が主張できる。ここに着目し
て、EPOは「ソフトウェアが一般的なハードウェアをコントロールして何かをする」という一連のプロセスには特許を主張できる、ということにしたのである。たとえば、あるソフトウェアがとある画像処理を高速化した、という場合、ソフトウェアそのものは依然特許の対象ではないのだが、「(そのプログラムを使った)高速化された画像処理の一過程」は特許の対象にしよう、というわけだ。当然、ソフトウェアをただフロッピーやCD-Rといった記憶媒体に収録、あるいはインターネット経由で頒布するだけでは特許侵害にはならない。よっていくぶん不十分ではあるのだが、このような迂回によって間接的にソフトウェアへの特許主張を認めようとしたものである。

しかし、これにしてもEPC 第52項 (2)を前提とする限りいかにも苦しい言い訳に過ぎず、そもそも何が何やら分かりにくい話である。さすがに無理が効かなくなってきたEPO は、ついに1998年、諦めてプログラムを直接特許主張の対象に組み入れることにした。これを「プログラム・クレーム」と呼ぶ。爾来、EPOは3 万件以上に及ぶソフトウェア「特許」を認可してきた。ちなみに、日本では2002年の特許法改正により、プログラム・クレームが明示的に解禁されている。

これは迂回ではなく明確かつ確信犯的にEPCを逸脱した行為(一応EPOの言い分もあるのだが、筆者には何度読んでも理解できなかった)なので、多くの非難を浴びた。FSFFFIIなどの反対活動が活発化してきたのもこのころからだったと記憶している。これを受けたEPO(正確には、ここでの「EPO」は、European Patent Officeを運営するEuropean Patent Organization)は2000年、逆にEPC第52項から問題の不特許事由規定を削除することで正面突破を試みた。このときは猛反対に遭って失敗に終ったが、この後も断続的に第52項 (2)を無力化しようとする試みは続く。

攻防

2002年にはEUの行政府たる欧州委員会の指令案が出された。ここには、一見アメリカでの行き過ぎたプロパテント政策を排しているように見せかける一方、EU加盟国の国内法のハーモナイゼーションにことよせて、プログラム・クレームは認めないかわりに先述したようなプロセス・クレームを利用した事実上のソフトウェア特許は明示的に許可しよう、という話が忍びこませてあったのである。この指令が通れば、EU諸国は国内法をこれに合わせて整備することになる。指令によってEUのレベルで事実上のソフトウェア特許が認められれば、EPCはほとんど意味がなくなるというわけだ。

この試みもまた、2003年欧州議会が指令案を修正した上で採択したため頓挫するかに見えた。しかし、さらに閣僚理事会にかけられた段階でプロパテント派による再度の揺り戻しがあり、結局最終的な指令案では議会による修正は骨抜きとされ、ざっと読むだけだと表向きソフトウェア特許を禁止しているように見えて、実はソフトウェア特許を大いに認める内容などという訳の分からないものに成り果てたのである。加えて、このころから「ソフトウェア特許」ではなく「コンピュータに実装された発明」 (computer-implemented innovation)という不思議な表現がされるようになり、文言や言葉の定義を巡る攻防が活発となる。これを見てポーランド代表は指令への不支持を表明、オランダは指令への支持を表明した政府を国会が不信任するなど事態は混迷を深めたが、それでも閣僚理事会は、最初からの審議やり直しを要求する欧州議会を無視する格好でこの案を採択してしまった。指令案が実際に有効になるには、閣僚理事会と欧州議会が同意する必要がある。よって、指令案は欧州議会に差し戻され、先日の(すなわち二度目の)採決に至ったというわけだ。そしてあっさりと否決されてしまった。否決された以上このままでは指令案は案のままである。これが現在の状況だ。

今後どうなるかはまだ予断を許さない。欧州議会では超党派による21項目の修正指令案を閣僚理事会に提示している。これは反ソフトウェア特許派もおおむね支持しているものだが、閣僚理事会が受け入れればそれで終わり、受け入れなければさらに両者間で調停が行われ、それでも物別れなら指令案は廃案となる。おそらくは廃案となるだろう。

思うこと

特許制度は経済学でも比較的研究が進んでいる分野だ。年来の怠惰で現在最先端でどのような議論がされているのか知らないが、それでもソフトウェア特許の導入が経済にプラスマイナスどちらの影響を与えるかについては、まだ定説はないはずである。ゆえに、筆者は今回の欧州議会の決定をハッカーのはしくれとしては高く評価するが、それがEUの中長期的な経済成長にどのような影響を与えるかははっきりとはわからない。もちろん、プロパテント論者が(往々にして大した根拠もなく)言うように、必ず悪影響を与えるかどうかも分からないのだが。

ということで、政策として評価するにはもう少し様子を見たいが、今までの経緯を見て思ったこと。結局今回の紆余曲折は、民主的なプロセスをできるだけ回避ないし軽視して、とにかくソフトウェア特許を導入してしまえというプロパテント派のごり押しが自滅を誘ったという印象が強い。しまいにはアイスクリームを振舞うと言って議員を釣ろうとするロビイストまで出る始末で、これでは欧州議会の議員の判断能力に対する敬意があるとは思えない。逆に反対派は、あえて読みにくくされた法の条文をねばり強く解読し、反論し、かつ完全な対案を用意している。これは日本においても今後見習わなければならない姿勢だと思う。日本でも同等の体制を整えるには、いわば「相手の土俵に立って」戦える人材が、今までにも増して必要となるだろう。

投稿者: mhatta

A rapidly-aging old-school geek in Japan.